芸人時代

【空気の読めない行動】イタかった若かりし頃の自分(芸人時代②)

ことりです。44歳。2019年7月1日よりフリーランスとして活動中。
私、ことりはかつて吉本興業で4年少々芸人やってまして、その頃の話をブログで書いてきましたが(→こちら参照)、芸人になりたての時期の、イタかった若かりし頃の話その②になります。

渋谷公園通り劇場にしょっちゅう通ううちに

1997年3月。当時渋谷にあった吉本の劇場「渋谷公園通り劇場」で初舞台を踏んだ私は、「空いてる時は劇場に来てライブを見学して勉強してもいいから。」と吉本の社員に言ってもらったので、とりあえず空いてる時は渋谷公園通り劇場に行って同世代や少し年上の若手(大阪から来た芸人がよくライブをやっていました)がどんなネタをしていて、どんなネタが受けるのかを片っ端から見て勉強してしました。

ネタ見せに合格すれば出演可能

私がデビューしたての頃、渋谷公園通り劇場の舞台は(私が出演していた「渋谷新人計画」は)その都度ネタ見せがあり、それに合格すると出演出来るというシステムでした。

芸人仲間が増えてくる

その後も同じようにネタ見せに合格してデビューする芸人が増えてきて、出番の時や、劇場に勉強しに行った機会に色々と話すようになりました。自然と同期という意識も芽生え、プライベートなことからお笑いについてまで同世代の同じ夢を持った奴らと話す機会が出来、一緒に飯食ったり飲みに行ったりする機会も増えていきました。

空気の読めない行動

芸人になる前、家とバイトとの往復ばかりで他人とほぼ接していない期間が長かった(→「【芸人募集】芸人を夢見た経緯その⑥(1枚の張り紙で動き始める)参照)せいかもしれませんが、この頃の私は空気の読めない行動、周りが見えずに自分勝手な事をし始めるということを時折やらかしていました。

先輩と麻雀に行った時に・・・

私はそんなに先輩とうまくコミュニケーションが取れる方では無かったのですが、そういうのが長けた奴が先輩と仲良くなり、ある時麻雀をすることになり、メンツが足りなかったのか私に声が掛かりました。何年か上の先輩1人と芸歴はあまり変わらないが年上の先輩1人と私、そして同期の4人で卓を囲んで麻雀を始めますが、私は麻雀が久々だったのもあって自分の番になるとしばしば長考を始めて(麻雀では基本的に「長考はタブー」とされています。)一番上の先輩をイライラさせて、後日同期から聞いたところ「何や、アイツ!二度と呼ぶなよ。」と言われていたそうです。

出番終わりで飲みに行った時に・・・

出番終わりに、その日同じく劇場に出演したうちの何組かで飲みに行った時に、たまたま自分のそばにいるのがそこまで仲良く無い連中だったのもあるかと思いますが、手持ち無沙汰なのと飲み慣れないアルコールが回っていたのとで、目の前にある食べ物を他の人が食べるのを考慮せずにバクバク食べまくり、その会が終わってから一番仲良かった奴にマジトーンで怒られるということがありました。

渋谷公園通り劇場での打ち上げで

その日先輩の単独ライブが渋谷公園通り劇場であり、私もお手伝いをするため、昼間から劇場に入っていました。無事にライブが終わり、手伝いの後輩やスタッフも含め劇場にデリバリーピザを頼んで打ち上げをすることになり、ピザが届きお酒やジュースなどの準備が整いました。
お笑いもですし、音楽のライブやお芝居などでも、終演後の劇場やライブハウスでの(時にステージ上で、時に楽屋で)軽食と飲み物で打ち上げというのはしばしば行われます。

主役である先輩がなかなか現れず

スタッフや後輩達で談笑したりしながらしばらく待ちますが、主役である先輩が取材か何かで時間が掛かっていてなかなか現れません。するとある社員の人が「先始めましょ。さあみなさんどうぞどうぞ。」と主にスタッフに気を使って声を掛けました。その一言でみんなビールや飲み物に手をつけますが、さすがにピザは遠慮して残ったままになっていました。

ご想像通りに・・・

そんな中、そうみなさんご想像の通り、空腹だった私は、真っ先にピザに手をつけて食べ始めました。私が食べ始めたことに何となくOKな空気になり、スタッフもピザをつまみながら飲み始めました。そしてしばらくしたところで、先輩も到着しみんなでピザを食べながら(その先輩は先にみんなが飲んだり食べたりしてる事は全然気にしてる様子はありませんでした)その日のライブの事を話して会は基本的には滞りなく終わったのですが、一緒に手伝いをしてた奴に終わったからやはりマジトーンで「主役の先輩がまだ食べて無いのにピザ食べるのはありえないでしょ。」と、ごもっともなことでまたしても怒られることになります。

うまく行かない日々

ネタもウケず、普段も空気を読めない行動を時折やらかし、うまく行かない日々が続きますが、そんな状況すらもイジってくれる先輩もいたりして「お前は(京大蹴って早稲田行ったのに)大学行かなくなって半分引きこもりみたいになって、そんでこんなところに来て芸人始めてって、まあある意味人生のリハビリをここでしてるようなもんだからな。」と言う言葉で、なんかリハビリだと思えばすぐに上手くいかなくても回復出来る、状況はよくなると信じて前向きになれると、少し救われたのを記憶しています。