芸人時代

【毎週、代々木公園で路上ライブ】渋谷公園通り劇場閉館後③

ことりです。44歳。2019年7月1日よりフリーランスとして活動中。

路上ライブ

ホームグラウンドだった劇場が閉館となり、渋谷公園通り劇場所属だった芸人達は定期的に芝居を行いながら
毎週日曜日の昼間、公園通りを上った代々木公園の入り口付近で路上ライブを行なっていました。少しでもそこで足を止めてもらって興味を持ってもらってチケットを買ってもらえればというのと、ネタをやる機会も少なくなっているのでそこでネタをやるという目的もありました。毎週何組かがネタをやり、その後全員でのゲームコーナー(ネタ以外の集団で行う企画)を行っていました。

自分たちだけで行う手作りのライブ

吉本の社員に許可を得るのはもちろんのこと、代々木公園でやるにあたり近くで同じように毎週パフォーマンスしてる人たちにも芸人だけで挨拶に行って相談し、お互い迷惑を掛けないように開始時間を調整したり、自分たちでチラシを作って(印刷は吉本の会社の輪転機を使わせてもらいました)配ったりと、基本的に全て芸人達だけで集まって話し合って内容も決めて実行していきました。

暑い日も寒い日も路上ライブ

チケ売り(チケットの手売り)同様にこちらも真夏は汗だくになりながら、冬は寒さに震えながら、雨の日はさすがに中止でしたが、それ以外の時期で芝居の公演期間以外は基本毎週行っていました。暑い時期の辛さもありますが、やはり真冬の路上ライブは、ネタやってる時の息は白くなるし、出番を待っている時に空っ風が吹くとじっとしてられないくらい寒いし、お客さんも見るからに寒そうで楽しんでるのかわからない状況ですし、なかなかの地獄でした。路上ライブが終わったら公園通りのハワイアンなカフェでロコモコとか食べながら芸人同士でああだこうだ言いながら芸人のノリでミニコントし始めたり、そして店出てチケ売りしたり。そんな日々が続きました。
路上ライブを意欲的に行っていた1999年〜2001年頃はまだ当然SNSYouTubeもありませんでしたし、ブログもやってる人はほとんどいませんでした。ホームページを作ってる人がちらほらいる程度で、私たちは元々劇団(【チケットを手売りする日々】渋谷公園通り劇場閉館後②参照)のファンの人が作ったホームページを公認してオフィシャルサイト化して、そこで路上ライブの開催の有無の告知や芸人達のコラムをアップしたりしていました。

自分の中で決めたルール

せっかく路上ライブをやる機会があるので、私は自分の中のルールで“毎週必ず新ネタを作ってそこで下ろす”ということを決めていました。路上なのでまず声を出すネタじゃ無いと伝わらない、ボソボソ独り言言ってるようなネタは無理なので(初舞台のネタがまさにそんなネタだったのですが↓↓↓参照)
声を張り上げる系、テンション高い系や歌系のネタが多かったと記憶しています。路上なので尺も1,2分程のものでとにかく足を止めてもらって見てもらうよう、起承転結があるものよりもインパクト重視で毎週試行錯誤してネタを作っていました。たまに通りすがりのカップルなどが足を止めてくれるととても嬉しかったのを覚えています。

渋谷に続いて銀座の劇場も閉館

1998年に閉館となった渋谷公園通り劇場に続き、1999年には極楽とんぼ、ロンドンブーツ1号2号、ココリコ、ペナルティ、 DonDokoDon、ダイノジ、品川庄司等を輩出した「銀座七丁目劇場」も閉館となってしまいました。東京吉本の劇場が一つも無くなってしまい当時の東京の若手芸人たちは路頭に迷うことになりました。次回へ続きます。