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ことりです。構成作家・脚本・イベント制作を生業としております。
ホームグラウンドだった劇場が1998年に閉館。渋谷公園通り劇場所属だった芸人達は定期的に合同で芝居を行いながら、何かできることはないかと模索していました。
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路上ライブ
毎週日曜日の昼間、公園通りを上った代々木公園の入り口付近で「路上ライブ」を行なっていました。少しでもそこで足を止めてもらって興味を持ってもらい、チケットを買ってもらえればという狙いと、ネタをやる機会も少なくなっているのでそこでネタをやるという目的もありました。毎週何組かがネタをやり、その後全員でのゲームコーナー(ネタ以外の集団で行う企画)を行っていました。
自分たちだけで行う手作りのライブ
吉本の社員に許可を得るのはもちろんのこと、路上ライブをやるにあたり近くで同じように毎週パフォーマンスしてる人たちにも、芸人だけで挨拶に行って相談し、お互い迷惑を掛けないように開始時間を調整しました。また、自分たちでチラシを作って(印刷は吉本の会社の輪転機を使わせてもらいました)配ったりと、基本的に全て芸人達だけで集まって話し合い、内容を決めて実行していきました。
暑い日も寒い日も路上ライブ
チケ売り(チケットの手売り)同様にこちらも真夏は汗だくになりながら、冬は寒さに震えながら、芝居の公演期間以外は、基本毎週路上ライブを行っていました。暑い時期の辛さもありますが、やはり真冬の路上ライブは、なかなかの地獄。ネタやってる時の息は白くなるし、出番を待っている時に空っ風が吹くとじっとしてられないくらい寒いし、お客さんも見るからに寒そうで楽しんでるのかわからない状況でした。路上ライブが終わったら、公園通りのハワイアンなカフェに向かうのがお決まりでした。ロコモコとか食べながら、芸人同士でああだこうだ言いながら芸人のノリでミニコントし始めたり、そして店を出てチケ売りしたり。そんな日々が続きました。
路上ライブを意欲的に行っていた1999年〜2001年頃は、まだ当然SNSもYouTubeもありませんでしたし、ブログをやってる人もほとんどいませんでした。ホームページを作ってる人がちらほらいる程度で、私たちは元々劇団(渋谷の街でチケットを手売りする日々【東京吉本】劇場閉館後参照)のファンの人が作ったホームページを公認してオフィシャルサイト化。そこで路上ライブの開催の有無の告知や芸人達のコラムをアップしたりしていました。
自分の中で決めたルール
せっかく路上ライブをやる機会があるので、私は自分の中のルールで“毎週必ず新ネタを作ってそこで下ろす”ということを決めていました。路上なので、まず声を出すネタじゃ無いと伝わりません。ボソボソ独り言言ってるようなネタは無理なので、声を張り上げる系、テンション高い系や歌系のネタが多かったと記憶しています。路上なので尺も1,2分程のもので、とにかく足を止めてもらって見てもらうことを意識しました。起承転結があるものよりも、インパクト重視で毎週試行錯誤してネタを作っていました。たまに通りすがりのカップルなどが足を止めてくれると、とても嬉しかったのを覚えています。
渋谷に続いて銀座の劇場も閉館
1998年に閉館となった渋谷公園通り劇場に続き、1999年には極楽とんぼ、ロンドンブーツ1号2号、ココリコ、ペナルティ、 DonDokoDon、ダイノジ、品川庄司等を輩出した「銀座七丁目劇場」も閉館となってしまいました。東京吉本の劇場が一つも無くなってしまい、当時の東京の若手芸人たちは路頭に迷うことになりました。次回へ続きます。