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ことりです。構成作家・脚本・イベント制作を生業としております。
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中学高校時代のエピソードその③
私が通っていたのは、関西にある中高一貫教育の私立の男子校でした。男ばかり1学年200名弱、教師も含め男しかいない環境で6年間過ごしました。
水泳同好会に転入
中学に入学してバスケ部に入りましたが、そんなに運動神経がいい方でも無くバスケへの情熱もあまり無かったのと、仲が良い奴がそちらに所属してるというのもあって水泳同好会(あくまでも「水泳部」では無く、「水泳同好会」に)に確か中3で転入しました。
私が通っていたのは中高一貫の、俗に進学校と言われるところでした。
- 中2までに中学3年分のカリキュラムを終える。
- 高校受験の必要が無く、基本的に全員高校へそのまま進級出来る。ただし成績が基準に達していないと留年(その場合は自主退学する者が多かった)。
- 部活も高校生に混じってやる事がある(中学と高校の垣根があまりない)。
- 中学の卒業式は形式上あるが、そのままほぼ同じメンツで高校に上がるのであまり実感がない。
同好会なので、基本練習は自主的に行う
一応顧問の教師はいたと記憶してますが、練習内容などもキャプテンが決めてみんなそれに従うという形でした。学校の敷地内に屋内プールがあり(ただし温水プールでは無い)夏場はもちろんプールで泳ぐ練習がメインですが、冬場は学校のプールは使えないのでだいたい以下のどれかを行っていました。
地域の温水プールで泳ぐ
頻繁には行けませんでしたが(確か月に1回とか2回)市の温水プールの何レーンかを借りて泳いでいました。ただ面倒だったのは学校から4、5キロ離れたその施設まで往復走るというのもトレーニングの一環とされていた事です。
ランニング
敷地が広い学校で、敷地内の庭園(1周約500メートル)を走ったり、学校外の道路を走ったり冬場はよくランニングをしていました。
グラウンドで野球
水泳の練習と関係ありませんが、まあ同好会というゆるさもあって屋内プールが使用出来ない時期は、時々みんなでグラウンドで野球をして遊んでました。他の部活の連中から「第二野球部」なんて言われてたりもしました。
ゆるさが居心地が良かった
私は水泳自体は好きでしたが、タイムを競ったり大会で好成績をあげたりすることにはあまり関心が無く、そういう点で「水泳同好会」はそのゆるさが快適で、居心地の良さを感じていました。かと言って部活をサボったりすることはあまり無く、淡々と自分のペースでやるべきことをやるというのが性に合っていました。
そのゆるさが命取りになりかける
私が通っていた学校は校舎が山の麓にあり、学校の裏手を少し上がったところには登山口があって登山道から標高700m近くある山頂まで登れるそんな場所にありました。ある時、水泳のトレーニングの一環としてその山を登るという話になりました。
ジャージ姿で何も持たずに登山
ある日の放課後、当時のキャプテンの発案で(繰り返しになりますが、同好会なので引率する教師も無く、生徒だけでの行動)ジャージ姿でもちろん荷物は部室に置いたまま、みんなで山を登ることになりました。
山頂まで到達して、休憩後下山を始める
1時間程掛かって山頂に到着。しばらく休憩して下山することになりました。先頭が下山し始め私と仲が良かった何人かが後方からついて下りていたのですが・・・
途中で登山道から外れてしまう
先頭グループと少しだけ距離が空いてしまった状態で、下山途中で私の2,3人前が登山道から外れた斜面(一見道に見えるただの斜面)を下りてしまいました。途中で「これ登って来た道と違うんじゃ無いか?」とみんな思い始めますが、私を含む4、5人は引き返して元の外れた地点へ戻るという選択をせずそのまま進み続けました。
道なき道を進むうちに
方角もわからぬまま進むうちに、川に辿り着き川沿いに下って行くと「滝」になっています。滝の上の岩場から下を確認しようとしたところ足を滑らせて・・・
九死に一生を得る
足を滑らせ、滝壺に落下しそうになった私を、すぐ後ろにいた仲間の一人が腕を引っ張って引き戻してくれてなんとか事なきを得ました。改めてゆっくり下を見ると5m以上は落差のある滝でまさに“九死に一生を得た”瞬間でした。
進むのを諦め来た道を戻る
私が滝壺に落下しかけたのもあり、我々は進むのを諦めて来た道を戻ることにしました。しばらく戻ったところ登山道らしき道に合流出来たので、その登山道を下りることにしました。
登って来たのとは違う道だが・・・
その道は登山道ではあるものの、学校の裏手から登って来た時とは明らかに景色が違います。放課後から山を登ってそこから下ってなので既に時刻は夕方。徐々に辺りは暗くなってきます。「このまま真っ暗になったら進めない」「山の中で一晩過ごすのか」「食料も無い、連絡手段も無い」「この辺りはイノシシがたくさんいる」と最悪な事を想像し始めたその時・・・
当時はまだ携帯電話も普及しておらず、こういう時の連絡手段はありませんでした。
民家が見えてくる
徐々に周囲が暗くなり不安が増してくる中、一軒の民家を発見し「助かった〜」と安堵したことを25年以上たった今でも鮮明に覚えています。
登山口から道路に出て
登り始めた登山口とは別のところに出てしまったのですが、そのまま道路を下って行くとしばらくしてやっと見慣れた建物(駅から学校まで行く途中にある、とある大学)が見えてきます。そこでようやく自分たちの現在地が、登った地点から丘を超えて一つ東側の住宅地にであることを把握して、学校まで戻ります。
無事学校に戻る
なんとか自力で学校に戻ると、先に山を下りた連中が学校に到着して教師にも伝えたようでちょっとした騒ぎになっていましたが、全員無事戻ってきたということで一件落着。
あくまでも「こぼれ話」なので大した事件ではありませんが、悪しからず。ただ自分はゆるい環境が心地よく、その中で自分のペースで淡々とやるべきことをサボらずやるという習慣はこの頃に付いたと言っても過言では無いかもしれません。