学生時代浪人時代

【宅浪する中で想像と妄想が増えて】芸人を夢見た経緯その②

ことりです。構成作家・脚本・イベント制作を生業としております。
私、ことりはかつて吉本興業で4年少々芸人やっておりました。「芸人」という仕事を意識して夢見るようになった経緯の2回目、浪人時代の話になります。

浪人生活が始まって

1994年の春、浪人が決定した私は予備校を探すことになりました。いくつか候補を探す中で、試験の結果によっては特待生扱いで入学金と月謝が無料で通える予備校(いわゆる全国区では無い予備校の1つ)がありました。他にもっとメジャーな予備校はありましたが親に掛ける負担を減らせられればという思いもあって、その予備校の試験を受けることにしました。結果無事合格し、入学金と月謝無料で予備校に通うことになりました。

予備校に通い始めるが、やがて・・・

4月から予備校に通う生活が始まりました。6年間男子校にいて周りに男しかいなかった環境から、同じクラスに普通に女子がいるという変化に戸惑いながら(もちろん嬉しくもあったが特に女子に話しかけることなど出来ず)最初のうちは真面目に毎日通って授業を受けていました。ですが、もともと「教わる」ということが苦手で、わからないことは自分で納得するまで調べて自分のペースで勉強するのが性に合っていた私は、そもそも月謝もかかってないしと、半年ほどして予備校を辞めて宅浪(自宅浪人)をするようになりました。

伝説の数学教師の授業

そんな教わるのが苦手な私ですが、現役時代から宅浪するようになっても引き続き、唯一数学のみとある塾に通っていました。なぜかと言うと、そこには今は引退されたそうですが、当時「1クラス100人中90人東大に合格させた男」という異名を持つ伝説の数学教師がいたからです。
その先生の授業は、他の参考書には乗っていない独自の問題をプリントして配布し、それを生徒に解かせ「どうやって解答を導き出したか(答えそのものでは無く解き方)」を挙手制で発言させた上で、先生が実際に解き方を提示する(多くの場合はこんなやり方もあれば、こんなやり方もあると複数の解き方を提示していた)というやり方でした。
授業で出題される問題のレベルははっきり言って大学入試レベルを超えていて「この問題は東大の数学の過去問(昔の試験で出た問題)を、それじゃ面白く無いから少しひねって難しくした」と平気で言うようなレベルでした。生徒も全国選りすぐりのエリート達で“全国模試で一桁順位です”みたいなのがざらにいました

パズル感覚で問題を解くことが楽しくなってきた。

はっきり言うとその塾で教わる数学が大学入試に直結する感じはしなかったのですが、「正解にたどり着く道筋を見つけ出す(時には何通りかある)」という行為と、「より難しい問題を解く」ことが、私には難易度の高いパズルを解くような感覚で楽しくて、その授業だけは自主的に受けていました。。

Z会の「京大コース 理系数学」も受講してました。

同じような理由で、浪人になってから通信講座のZ会「京大コース 理系数学」を受講し始めて、欠かさず毎月提出していました。
京大の数学の試験(2次試験)ではざっくり言うと2時間半、150分で6問に解答する必要があり平均すると1問を25分で解くスピードが要求されます。
私は、スポードよりもとにかく「何としても問題を解いて、正解を導き出す」ことにこだわり、時には1問解くのに1日2日掛けたりしていました。

浪人生活の中で勉強の仕方が偏っていく。

浪人生活が続く中で、特に宅浪を始めてからは難しいパズルほど時間を掛けてでも解きたくて仕方がなくなる傾向が強くなり、好きな数学に割く時間が増える一方で他の教科に割く時間が減っていき次第に勉強の仕方が偏っていったのは否めません。
当時、私の第一志望、京大工学部の2次試験の科目は数学、英語と理科から2科目で私の場合は物理と化学を選択していました。

宅浪を続ける中、受験勉強自体よりも・・・

数学の勉強に割く時間が増えると共に、数学的思考力は高まっていったのか、上記のZ会「京大コース 理系数学」で一浪後の受験直前の2ヶ月連続200点満点で全国1位というスコアを獲得しました。ですが、それは先程も書いたように本番では150分で解くものを丸1日2日掛けて解いたものでした。また同じく塾での大学入試を超えたレベルの数学の課題も、時間を掛けて考えれば解けるようになり「数学に関しては時間さえ掛けければ全国選りすぐりのエリート達にもそんなに引けを取らない」と思えるようになりました。
あくまでも、“時間さえ掛ければ解ける”であって、本番の試験では、スピードも要求され、いわば「捨てる問題」も必要になってきます。
けれども私は、そういう受験テクニック、スキルを磨いたり、数学はほどほどで他の科目の底上げをしようとかもっとセンター試験の対策に時間を費やそうという受験戦略には意識があまり向きませんでした。

徐々に想像、妄想することが増えて行き・・・

「パズル的感覚で問題を解いて自分の満足感を得たい」思いが強くなると共に、宅浪して他人との会話が減って一人でいる時間が長くなったためか、現実として起こりうることからありもしないことまで色々と想像、妄想することが徐々に増えていき、その一つが「自分がもし、芸人になったら」というものでした・・・。
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