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【黒歴史】イタかった若かりし頃の自分(中学高校時代)

ことりです。44歳。2019年7月1日よりフリーランスとして活動中。
私、ことりはかつて吉本興業で4年少々芸人やってまして「芸人」という仕事を意識して夢見るようになった経緯を7回に分けてこのブログで書いてきましたが(→こちら参照)、芸人になる前、鼻っ柱をへし折られる前、根拠も無く自信を持っていた、イタかった若かりし頃の話を振り返ってみようと思います。

イタかった中学高校時代の自分

私が通っていたのは、関西にある中高一貫教育の私立の男子校でした。男ばかり1学年200名弱、教師も含め男しかいない環境で6年間過ごしました。

ダウンタウンに影響受けまくった中学高校時代

1975年生まれで、関西に生まれ育った私は、「ダウンタウン」の影響を直撃と言って良いくらい受け、ネタやトークの内容はもちろんのこと、ダウンタウンが時折テレビで話す芸人用語や業界用語なども自然と覚えるようになりました。「サムイ」「イタイ」「タレ」(→後々芸人になって実際芸人同士で使ってました)といった言葉や、東京の土地勘も無く具体的にどこにあるかも知らぬまま「砧スタジオ」という名前など覚えて、ごくごく仲間内の数人の間ですが使ったりして今思えばだいぶイキってました。

芸能ネタに異常に興味を持った中学高校時代

ダウンタウン出演番組以外にも深夜番組を見まくり(→【進学校のクラスで目立たぬ存在が】芸人を夢見た経緯その①参照)、雑誌を読み漁り、当時関西で人気だった深夜ラジオ「誠のサイキック青年団」を(→芸能界の際どい話を毎週のようにしていたラジオで、結局不適切な発言が原因で放送が終了となった)毎週欠かさず聞く中で、芸能ネタにも尋常ならざる興味を持ち、ゴシップ話などを無駄に蓄積させていました。

毎年文集用に文章を書かなければならない

私の通っていた学校は卒業文集という形では無く、毎年学年末に学年全員の文章を掲載す「文集」が出るという形式で、つまり中学高校時代で6冊の文集があり、6年分自分の書いた文章が掲載された文集があるのですが、先日実家に帰った際にその文集を読み返していて当時の自分の「イタさ」を痛感しました。

高3の卒業文集のタイトルが・・・

書くネタが無かったんだろうと言えばそれまでですが、高校3年の時の文集=「卒業文集」、高校最後の記念になる一冊に掲載される文章で、なぜか私は「YOGORE」というタイトルで、ヨゴレ芸人について書くという、今思うと意味のわからない行動を取っていました。

ヨゴレとは・・・元々は芸人の間で、「下ネタ・一発芸のような簡単に笑いが取れるネタを多用する」「芸道より副業に精を出している」「芸もないのに処世術のみ長けている」といった芸人を揶揄する蔑称である。 出典:ウィキペディア

卒業の記念となる、そして一生残るものに何でそんな内容を書いたんだろうと今になっては思いますが、若気の至りとしか言いようがありません。

上から目線でローカルなタレントなどをイジる

ただの高校生の分際で、当時関西ローカル番組によく出演していたタレント「青芝フック」「タージン(タージンさんは今でもご活躍中です)」や、当時から全国区でしたが独特な存在の「林家ペー・パー子」といった方々を名前を出してイジっていて、おそらく当時週刊誌でテレビ批評をしていた「ナンシー関」にも影響を受けて、それ風な事を書こうとしたのだと思います。全然ナンシー関のようなあんな唯一無二の切り口では無い、ただ雑にディスる感じで面白おかしい風に書いたただの駄文でした。

改めて当時の自分のイタさに赤面

先日読み返した際は、当時の自分のイタさに読んでて顔から火が出る程恥ずかしかったです。