学生時代浪人時代

【東京ギャグコレクション】イタかった若かりし頃。芸人を酷評

ことりです。2019年7月1日よりフリーランスとして活動中。
私、ことりはかつて吉本興業で4年少々芸人やってまして「芸人」という仕事を意識して夢見るようになった経緯を7回に分けてこのブログで書いてきましたが(→こちら参照)、芸人になる前、鼻っ柱をへし折られる前、根拠も無く自信を持っていた、イタかった若かりし頃の話第二弾になります。

イタかった大学時代の自分

私は一浪していくつかの大学に合格した中から早稲田を選び(→【京大合格を蹴り、上京。早稲田へ】芸人を夢見た経緯その④参照)、1995年4月早稲田の当時の理工学部電子通信学科というところに入学して大学生活が始まりました。

ヤクルトを応援するサークルに入る。

早稲田には種々雑多、様々なサークルがあり、その中から「ヤクルトスワローズ」を応援するサークルに入り、1995年ヤクルトVSオリックス日本シリーズをライトスタンドで生で観戦しイチロー選手のプレイをリアルタイムで体感出来たのは貴重な経験です(→詳しくは「【早稲田での獲得単位はわずか8単位】芸人を夢見た経緯その⑤参照)。
もう一つ球場で私が生観戦で目撃した貴重な体験(珍しいプレー)は、2014年7月11日の巨人vs阪神での原監督の采配「内野5人シフト」です。外野手の亀井選手が内野を守り、内野手5人外野手2人というシフトを敷いたのですが、阪神の西岡選手の打球はシフトをあざ笑うかのように、センターへ。普通ならセンターフライの打球が二塁打になりシフトは失敗に終わりました。

早稲田大学寄席演劇研究会に入る。

浪人時代に仕事として「芸人」というものを意識するようになっていた(→「【大学全部落ちたらNSC行くわ!】芸人を夢見た経緯その③参照)のもあって、クラスで一番仲の良かった奴(ヤクルトスワローズを応援するサークルに誘ってくれた奴)を誘って早稲田大学寄席演芸研究会(通称「ヨセケン」)というお笑いサークルにも入りました。

自分がオモロイと思い込み尖りまくる

ヨセケンではネタをすることになります。自然の流れで一緒に入った仲いい奴とコンビを組み、浪人時代に考えた漫才を少々改良してのライブに臨むことになりました。初めての舞台は・・・ややウケでした。爆笑は取れずでしたが何箇所かウケを取るところもあり自分的には反省点と共に手応えがあったのですが・・・

先輩からのダメ出しを睨みつけながら聞く

舞台が終わってサークルの先輩からダメ出しがありました。自分としてはネタに関して絶対的に自信があり、ややウケだったのは「客がついて来れなかった」くらいの感覚でいた中で「お客さんは女性が多いから、下ネタはちょっと・・・」といった指摘をされました(至極真っ当な指摘なのですが)。それに対してお前らみたいなもんに(相手は先輩なのに)アレコレ言われたくない。お前らに俺の笑いわかんのか?」と生意気極まりないことを思い、それが態度に出まくり、ちょっと俯いたまま目線はその先輩にロックオンして睨みつけるという、サークルに入りたての1年生にはあるまじきとんでもない態度を取っていました。

サークルの一行でお笑いライブを観に

そのお笑いサークルにいたのは結局半年少々だったのですが、サークルの活動の一環でプロの芸人のライブを見に行く機会がありました。ボキャブラ天国全盛期で、爆笑問題、海砂利水魚(現、くりぃむしちゅー)、ネプチューンなど錚々たる面々が出演していた『東京ギャグコレクション』というライブでした。私にとっても当時関東の芸人のライブを生で見るのは初めての経験で、どんなもんかお手並み拝見な気持ちでサークルの連中と一緒にライブを観ました。終演後出演者それぞれの感想をアンケートに記入することになったのですが・・・

上から目線でボロクソな意見を書きまくる。

尖りまくっていた私は、素人の分際でしかもサークルとは言えお笑いを齧っているにも関わらず、「オモロナイ」と思ったコンビには、本人が見たら絶対凹むようなボロクソな意見を(自分の方が「オモロイ」と思い込んでいるイタイ奴丸出しで)アンケートに記入していました。それもちゃんと自分の名前や住所もきちんと書いて名乗った上で、そんな上から目線の生意気なことをよくやったなと改めて思います。次回芸人になってからの「イタかった若かりし頃の話」になります。
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