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【つんく♂さんとの出会い】ことりという名前が付いた経緯

ことりです。2019年7月1日よりフリーランスとして活動中。

出会いは2001年秋

私、ことりはかつて吉本興業で4年少々芸人やってましたが2001年春に辞めました。
芸人を辞め、構成作家見習いを始めてしばらく経った頃。私が見習いとしてお世話になっていた構成作家の先輩に、「紹介するわ」と呼ばれ向かった先にいらっしゃったのが・・・、つんく♂さんでした。

初対面のつんく♂さんは・・・

2001年当時のつんく♂さんは、モーニング娘。がヒットを飛ばし、更にタンポポやミニモニ。、プッチモニといった派生ユニットも並行して活動している頃。プロデュース業務が多忙を極めていた状況かと思います。そんな中現れたつんく♂さんは、やはり近寄りがたい雰囲気をまとっていました。個人的にシャ乱Qは好きなバンドでしたし、ASAYANもほぼ毎週見ていた私は、心の中でわ、つんく♂や。テレビで見てた人や」と素人みたいな感想を持ちながら、初めましてとご挨拶をしました。

ご挨拶をしたその時に・・・

細かい一言一句までは覚えてないですが、ご挨拶した流れで初対面のつんく♂さんから「とりの次に入ったから、ことりやな。」「今日からことりでよろしく」ということになり、そう言われた私は「ことりです。よろしくお願いします」とすんなり受け入れました。ここで「え?」「なんでことりなんですか?」と言ってたら私の運命は変わってたかもしれませんが、なぜかその時すんなり躊躇なく受け入れる自分がいました。
「とりの次に入ったから、ことりに」僕より先に「とり」さんという方が構成作家見習いとして既につんく♂さんとお仕事をしてました。「とり」さんは、元々つんく♂さんが出演していたラジオ番組のリスナーで、いわゆる「ハガキ職人」としてネタハガキを多く投稿していたそうです。その時のペンネームが「とり」だったため、そのまま「とり」とみんなに呼ばれておりました。
初対面のつんく♂さんに「ことり」と命名して頂き、そこからお仕事をお手伝いさせてもらうことになりました。

初めてご一緒した仕事は・・・

初めてお手伝いさせてもらった仕事はつんく♂さんのセルフカバーライブでした。ライブの途中で当時仲の良かった芸人さん達とコントをするところがあり、つんく♂さんも全身タイツを着たりしてました。コントのコンセプト・イメージをつんく♂さんが考えて、中身は芸人さんが考えて作っていく、その書記に近い形で参加して、ライブツアー本番にも帯同しました。

ライブツアーでのハプニング

そんなツアーでのハプニングが起きました。名古屋でのライブでつんく♂さんのMCでのトークがめちゃめちゃ長くなって、「帰りの新幹線の時間がヤバい」という状況に陥ります。終演後みんな急いで帰る支度して、会場からタクシー数台で名古屋駅へと向かいます。結果なぜか数台のうち、帰りの電車内での軽食も積んでいた1台のタクシーだけが早く到着。駅のホームでみんなを待っていたのですが、それ以外のタクシーは最終の新幹線の時間に間に合いませんでした。結局先に駅に着いた1台のメンバーも、帰京を諦めて、みんなで名古屋に宿泊することになりました。

その後・・・

つんく♂さんのプロデュース業務のうち、コンサートに関してのコーディネート、アシスタント的役割の一端を、私が担うことになりました。つんく♂さんがメンバーに対して「トークは簡潔に」おっしゃる度に、この電車に乗り遅れたエピソードを思い出す自分がいました。「いや、ご自身のトーク、めっちゃ長い時ありましたやん!」。次回、つんく♂さんの著書に携わった時の話を書きます。
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