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ことりです。構成作家・脚本・イベント制作を生業としております。
私、ことりはかつて吉本興業で4年少々芸人やっておりました。
「芸人」という仕事を意識して夢見るようになった経緯を7回に分けて書いていきたいと思います。
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中学高校時代
私が通っていたのは、関西にある中高一貫教育の私立の男子校でした。男ばかり1学年200名弱、教師も含め男しかいない環境で6年間過ごしました(そこでのエピソード→「【腑に落ちた言葉】芸人を夢見た経緯<こぼれ話>中学高校時代編①)。世間一般に「進学校」と呼ばれる学校で、大学進学率は100%、1学年200人弱のうち数人が東京大学に、十数人が京都大学に行くくらいの偏差値レベルと思ってもらえると間違いないかと思います。
クラスでは目立たない存在
中学高校時代、私はクラスの中で決して目立つ存在ではなく、当時のクラスメイトからすると「え、あいつが芸人?ウソでしょ!?」という印象だと思います。真面目な学校で不良やヤンキーは一人もいませんでしたが、卒業式の時、卒業証書を受け取る際にボケたり校長先生に絡んで笑いを取るやつが何人かいるくらいには関西のお笑い文化は浸透していて、「オモロイ奴」が一目置かれるという状況は進学校であっても一般的でした。
そんな中で私は
そんな中で私は、仲が良い何人かの中では「オモロイ奴」と思われたくて、モノマネとかギャグみたいな事は苦手でしたが、ここぞというタイミングでボソッと一言言って笑いと取りたいと、高校に入ってからた特に思うようになっていました。
ある時、部活で20人くらいが一斉に腹筋で足上げをしているタイミングで、ボソッと「何かの宗教の儀式みたいやな」と言って笑いが起きて、とても気持ち良かったのを覚えています。
ダウンタウンの影響
関西で「オモロイ奴」が一目置かれるきっかけになったのは(もちろんその前に桂三枝(現6代目文枝)が全国的人気者になり、漫才ブームがあり、更に明石家さんまがドラマで主役になるほどの人気者になったのを経てですが)「ダウンタウン」の存在が大きいと思います。
1975年生まれの私のちょうど1回り上のダウンタウンは、小学校高学年〜中学生の頃に関西ローカルの夕方の番組「四時ですよーだ」で人気となり、その後「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」「夢で逢えたら」等で全国区になっていくのを、私たちの世代は目の当たりにしました。
特に「ダウンタウンのごっつええ感じ」で観たコントの数々は、中高生でちょっと背伸びしたい男子の私は直撃と言っていいくらい影響を受け、新しいコントが披露された翌日には仲間内でその話題をしたり、ボケをなぞったりしていました。
関西ローカルの深夜番組を見まくる毎日
当時の関西は深夜番組黄金期と言っても良いくらい充実していて、「痛快!明石家電視台」、「EXテレビ(関西制作の火曜木曜)」「ダウンタウンの素」「鶴瓶,上岡パペポTV」「探偵!ナイトスクープ」、月曜から金曜まで帯で毎日「テレビのツボ」もやっていたりと、今振り返っても面白い番組が目白押しでした。それらの番組を毎日のように観て、ラジオでは日曜日の深夜に芸能界の裏話や暴露話を面白おかしく話して人気だった(後々大騒動を引き起こすことに・・・)「誠のサイキック青年団」を聞いたりしてるうちに、芸能界の裏側や業界用語みたいなものに何となく興味を持ち始めました。
雑誌を片っ端から立ち読みする毎日
また、学校帰りには毎日のように片っ端から雑誌を(月曜日の「週刊現代」「週刊ポスト」から金曜日の「FRIDAY」まで芸能系、漫画雑誌、スポーツ雑誌、テレビ雑誌、そして松本人志が連載していた「週刊朝日」や島田紳助が連載していた「サンデー毎日」などなど週に数十冊)立ち読みして情報を得て、芸能・芸能界というものに対して人並み以上に興味を持っていたのは確かです。ただ、芸人になろうとかそんな事は高校時代までは微塵も思っていなかったのですが。
大学受験失敗から徐々に・・・
大学進学率100%の高校に通っていた私は、周りも全員受験しますし、自分も何か明確にやりたい事は無かったのですが、当然の流れで大学受験をしました。高校三年生の時、いわゆる現役の時は志望大学は京都大学一本でした。センター試験を受け2次は前期後期共に京都大学の工学部(学科名は組織改変があったので割愛します)を受験しました。現役の時は京大以外は浪人と決めて、ひたすら京大対策の勉強しかしませんでした。しかし残念ながら2次試験で前期後期共に不合格となり浪人することになります。
大学不合格が決まって・・・
不合格が決まった瞬間涙が止まらずものすごい脱力感と虚無感に襲われたのを覚えています。今思えば、その脱力感と虚無感を引きずったまま浪人生活に突入していく中で、「芸人になりたい」とまでは考えてなかったのですが、ぼんやりと「自分が芸人になったら?」という想像、妄想をするようになっていきました。そんな浪人時代のことは次回書きたいと思います。