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ことりです。構成作家・脚本・イベント制作を生業としております。
私、ことりはかつて吉本興業で4年少々芸人やっておりました。「芸人」という仕事を意識して夢見るようになった経緯の4回目、二度目の受験の話になります。
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1995年、19歳の私は二度目の大学受験も基本的に本命は前期日程、後期日程共に京都大学工学部でした。前期日程では専攻内容が何となく一番興味が持てた本命の学科(一番の本命)を受け、後期日程では工学部の後期日程で一番偏差値が低かった別の学科(二番目の本命)を受けました。要は前期は自分が一番興味を持てる分野で入りたい学科、後期は一番合格の可能性が高い学科を選んだわけです。
前期日程試験前日の夜
浪人生活を続ける中で想像と妄想が膨らみ、披露する場もそのつもりも無い漫才のネタが自分の頭の中で出来上がっていきました。そんな中一番の本命となる前期日程の試験前夜(いくつか受けた中でこれが一番最初の試験でした)、ベッドに入ったもののなかなか寝付けず、一旦試験のことを忘れようとすると頭の中に浮かぶのはなぜか漫才のネタでした。頭の中で繰り広げられるボケとツッコミのやりとり、そして最後にはオチ。それでも眠れず「あのボケはやっぱりこうした方がいいか」などと余計なことばかり考えてしまい、結局2、3時間しか眠れず終いでした。
そして試験は・・・
寝不足のまま挑んだ試験ですが、一番得意な数学は「数学に関しては時間さえ掛けければ全国選りすぐりのエリート達にもそんなに引けを取らない」という自負があったにも関わらず、6問中完全に解けたのは1問、途中まで解けたのが確か2問か3問ほどで想定外の出来の悪さでした。
京大の数学の試験は(他の国立大学でもそうですが)計算及び証明の途中経過と答えを併せて提出します。なので答えが合ってても途中経過が間違っていれば減点されますし、答えが間違っていても途中までの計算があっていると部分点がもらえます。当時京大の工学部に合格しようとするなら「6問中最低2問完全解答で2問は部分点を稼け」と言われていました。
2次試験(前期は数学、英語、理科から2科目で私は物理と化学を選択)で一番点数に差がつきやすいイコール合否への影響が大きいのが数学で、かつ自分の中で一番得意な科目だったにも関わらず、その数学で点数が稼げ無かった時点で前期試験は厳しい結果が予想されました。
切り替えて他の大学の試験へ
前期の結果が出る前に、他の大学の試験が立て続けに迫ってきます。一番本命の京大前期試験は相当の緊張がありましたが、以降の試験は割と平常心で試験に挑めたと記憶しております。
現役の時とは変わってきた気持ち
現役時代は京大以外行く気が無く、上京志向もゼロでした。ただ大学に行って何をしたいかという明確な目標は無く、「工学部でなんとなく情報系の学科かな、でも具体的に何をしたい?って言われると・・・」という感じでした。それが浪人生活を送る中で「明確な目標が無いなら大学に行ってみて、それで自分のやりたいことを見つけよう。どこの大学に行くかは自分の中での優先順位はあるにせよ、そんなにこだわらないようにしよう。」と気持ちが変わってきました。
地震を経験して少し考え方に変化が
私が小さい頃は「関西では大きな地震は起きない」なんてまことしやかに言われていましたが、この年に阪神淡路大震災が起き(→その時の模様はこちら)、ある種不条理なことを体験したことにより「“正しい”と世間的に言われてることが本当に(自分にとって)正解かどうかはわからない」「何が起こっても不思議では無い」という思いが私の中で強くなっていたのも事実です。
全ての試験の結果が出て、決断。
全ての試験が終わり、時系列は定かでは無いですが結果が届き始めます。慶應義塾大学、早稲田大学、同志社大学、立命館大学は全て合格。京大は最初に述べた前期日程の一番の本命の学科は不合格、そして後期日程で受けた二番目の本命の学科は合格しました。そうなると当然京大に行くのが普通の感覚だと思うのですが、その時の私は違う判断、決断をしました。
東京へ行く!芸人になるのも視野に入れ・・・
この決断が24年後、2019年の今の私の状況を作るに至ったと言っても過言では無いと思います。なぜそういう決断をするに至ったのかと問われると簡単には説明できないのですが、今回のブログで述べたようなことの積み重ねで京大へのこだわりが薄まり、そして「自分が芸人になったら」という想像と妄想をして相方もいないのにネタを考えたりする中で、「芸人になる」という可能性も視野に入れながら東京の大学に進学するという方に徐々に私の意思は傾いて行きました。
選んだ大学は・・・
合格した中で東京の大学は慶應と早稲田でした。そのうち一年生から専門分野の授業があり、自分が入った学科で早い段階でやりたいことを(あるいはやりたいことがそこに無いのかを)見つけられるということで早稲田大学へ進学することを決めました。京大に断りの電話を入れた際、大学の方がびっくりしていたのを覚えています。けれでも自分の中では自然にというか導かれるようにたどり着いた結論でした。