芸人時代

渋谷公園通り劇場閉館後①(ホームグラウンドを失って)

ことりです。構成作家・脚本・イベント制作を生業としております。
1998年秋頃、私がピン芸人として活動していた場所、吉本の劇場「渋谷公園通り劇場」が閉館となりました。
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劇場閉館

1997年に初舞台を踏み、以降私はずっと「渋谷新人計画」に出演していました。渋谷公園通り劇場は、そんな私がなかなか結果が出せない中奮闘した場所でもあり、色々な芸人のネタや幅広いエンターテイメントの生の舞台を見学させてもらった場所でもあります。舞台上やそれ以外での芸人のノリだったり、芸人のいろはを勉強させてもらった場所が無くなってしまいました。

何度も通った渋谷公園通り劇場

渋谷駅のハチ公口からスクランブル交差点を渡り、西武渋谷店を左に見てマルイを右に見ながら直進。公園通りを斜めに上って、パルコ前の交差点を渡り、更に坂を少し上ったファミリーマートの手前のビルの地下にあったのが「渋谷公園通り劇場」

劇場内部

階段を地下に降りると、チケットをもぎったりする劇場入口。ドアから入ると、ロビーになっていてお客さんが開演までの時間を過ごしたり、ライブ終わりにアンケートを書いたりしていました。ロビーの扉を開けると客席の最後方です。階段状に客席が並んでおり、なぜか客席内の上手(客席から見て右側)と下手(客席から見て左側)に1本ずつの柱があり、客席から舞台を見るのにとても邪魔になっていました。芸人になる前のフリーター時代から(【芸人募集】劇場の張り紙を見て応募。芸人を夢見た経緯その⑥参照)何度か前を通り、芸人になってからは自分の出番の時もそうでない時も何度も何度も通った場所。今でも駅からの7,8分の道のり、舞台上から見た客席そして存在感のある柱、舞台裏の芸人が溜まる埃っぽい楽屋などの光景がありありと目に浮かんできます。

ホームグラウンドとなる劇場を失って・・・

渋谷公園通り劇場出身で、いち早く世に出たのはガレッジセールのお二人でした。1997年から日本テレビ系の番組「ロンブー荘青春期」に出演。その後1998年から、当時の吉本の若手4組での番組「吉本ばかな」に出演するなど、徐々にテレビでの露出を増やしていきました。
この番組発でNorth-札幌吉本所属のアップダウン、East-東京吉本所属のなかよし、West-大阪吉本所属のシャンプーハット、South-東京吉本・沖縄県出身のガレッジセールの4組からなる「news」というユニットが結成されました。1999にはなかよしのお二人が抜け、代わりにライセンスが加入しました。
何組かは当時銀座にあったもう一つの吉本の劇場「銀座七丁目劇場」にゲスト的な扱いで呼ばれてネタをしたり出番がありました。それ以外の渋谷公園通り劇場にいた若手芸人は、ホームグラウンドを失うこととなりました。以降は、時々吉本が借りたイベントスペースや小屋での公演はあったものの、劇場があった時に比べネタを披露する機会が自ずと減ってしまいました。

合同での芝居、路上ライブ

劇場が閉館となった1998年から、渋谷公園通り劇場の芸人何組か合同で芝居をする企画が始まりました。「Happy Boys Bad Camp」というユニット名というか劇団名で、芝居を定期的に打つようになりました(1999年から「velvet under//misin」へ名前を変え、参加メンバーも変わりました。)またいつ頃からか正確な時期は思い出せないのですが、上記劇団に参加してるメンバーもそうでは無いメンバー含め、有志何組かで公園通りを上った代々木公園で路上ライブを始めることになりました。劇場でネタをする機会が減って、先が見えずにもがき苦しむ日々が続くこととなります。次回へ続きます。
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